風の歌、心の模様、隣の名無しさん

部屋を掃除している折、ふと目に留まった「風の歌を聴け」を手に取って、そして数刻経っていた。既に日は沈み、ベランダの洗濯物は乾いていた。なんてこった、今日もまた何も出来なかったじゃないか。まあ、それでも、散らかった部屋の隅、畳みかけの布団にもたれかかり本を読むというのは、それはそれで気持ちいい事ではあったのだけど。


こんな記事を読んだ。


魅力的な文章を書く人がいる。 - ミームの死骸を待ちながら : http://d.hatena.ne.jp/Hash/20090221/1235213002


はっしゅさんとはTwitterで何度か絡んだ事はあるのだが、彼の行動力はすさまじく、いったいそのエネルギーはどこから出ているのかといつも驚いている。そして、はてなアルファブロガーの一人だろう。
で、ここで取り上げられたiNutさんもTwitterで知り合い、実際に京都で一度会った事があるのだけど、すごく魅力的な人だった。そしてブログも前からちょくちょく読んでいたのだが、とても素敵だ。(Twitterで面白い人のブログは大抵Google Readerに突っ込んでる。はっしゅさんはTwitter以前から知っていたが・・・)


ここでちょっと考えた。はっしゅさんとiNutさんは、同じハチロク部に属していて、どの程度の面識があるのか第三者の僕にはわからないのだが、そこそこの交流はあるだろう。だからお互い、相手の人格を知り、相手のことを想像して、それについての述べる余地がある。
他者によって産み出されたものについて述べる際には、その他者の事を知ることが大事だ。あらゆるものには文脈がある。アルファブロガーも、その記事が目に触れる頻度から、ある程度人格を想像して、彼の言う事について想像を膨らませる事が出来る。それについては小説家も政治家も、お笑い芸人だって同じだ。道行く人が何気なく発した言葉でさえ、それに至る道筋がある。




いつも考えている事がある。名文を名文足らしめるのは、受け手の心の在り方だ。受け手が抱く書き手の人格への幻想が、それを補強する。この零細なブログを執筆している僕が「雨が降ったら 傘をさす」といってもなんて事はない。そのままの出来事だろうが、読み手がこれを松下幸之助の言だと知れば、何らかの意味を読み取ろうとするだろう。
そう考えたとき、じゃあ2chとは、さらには増田とは何なのだろう?


日本のインターネット匿名文化の寵児たる2ちゃんねる、そして2ちゃんねるから脈々と受け継がれる日本の匿名文化の、はてな系列に位置する匿名日記サービスAnonymous Diary。どちらも「詠み人知らず」の代表*1だが、あれほどにアクセスを集めるのは、きっと「ねらー」や「増田」という架空の「詠み人」を無意識に想定しているからじゃないだろうか。「彼」は他者の痴情をぶちまけたり、臆面なく他者を中傷し、平気で心の傷跡を抉る。かと思えば、これ以上にないウィットを披露し、上質のライフハックを提供してくれる。そしてそのサービスに参加する事で、そんな「彼」を構成する一部に、僕らは組み込まれる。
そんな集合的無意識たる「彼」を、僕らは想像し、その一部として振る舞う。「彼」は代弁者であり、日々膨大な量をまき散らし、しかしまとめブログやホッテントリでその方向性は集約されていく。
そんな「彼」を僕らは上質なコンテンツを産み出す誰かとして認めているのだろう。


言葉は、偉大だ。なんてことのない一言が、教訓めいて聞こえてたり、日常に花を添えたり、人の心を繋いだり引き裂いたりする。僕はその可能性を全く引き出せちゃいないのだが、その努力はしたいと思っている。そのために毒にも薬にもならない駄文を書き散らす。今日もまた、こんな文章を書きなぐっては、注釈をいれるのが面倒になったので、いまからPS3を起動してデモンズソウルの世界に浸って寝る事にする。そして、明日こそは掃除をすると、何度目かわからない決意をするのだ。