昨日の記事で言い忘れていたこと ついでに増田へ

昨日の記事がホッテントリだったらしいですね。
いちおう、被ブクマ狙って書いたと言えばそうなんだけど、ここまで反響があるとは思いませんでした。
ホッテントリ・・・このブログでは初めてですね。一応はてなでブログ書く人間としては、ホッテントリは一つの目標だったので、素直に嬉しく思います。自分が毎日フィードで読んでるものでもあるわけで。


しっかし、さっそく洗礼のようなディスを受けたりして、ちょっと凹んだりしたけど僕は元気です。

というわけで、増田に簡単に反論しておく

twitterライフが充実=人生が充実 と思っている変な人達

「10分に一度の頻度」で投稿しているなんて事を誇らしげに語っている人の人生なんて終わっていると思いませんか?
自分の友人がそんな奴で、しかもそんなことを誇らしげに話してくる奴だったらウザクてしょうがないな。
お前は何を勘違いしているんだと。
PCばっか触っているのか、携帯片手にいつもどこでもやっているのか知らないけど、お前はどんだけ暇なんだと。


一応、ブコメで反論した。

miz_k twitter PCが勉強/仕事道具だと、その片手間に発言するのは全然苦じゃないんだけどな。リアルの友人もたくさんいるし、コミュニケーションの延長です。


これは発言頻度に対する反論。その他論旨に関しては他のブコメがうまく僕の気持ちを代弁してくれているので、そちらを見てもらいたい。
まがりなりにも情報系なので、常時MacBookiPhoneを携帯している。で、作業の合間を縫うようにTwitterにポストしている。
そんなに発言して作業効率が落ちてないか?という疑問が上がるだろうが、うん、ちょっと遊びすぎているよなーとは自覚しているんだ。おそらく作業効率は落ちてる。ただ、メリハリつければそこまで悪いものでもない。だいたい、140字フルに発言することもあんまりないし、人が増える夕方以降のチャット化した状態だと、くだらない内容に脊髄反射のような内容を垂れ流すだけで、そこそこ面白いのだ。
学校の友人と、常に一緒にいるわけではない。そういうときに思いつきを散漫にポストする。友人といるときは、その会話を楽しみたいから発言しない。しかし、一度Twitterで会話するモードに入ると、がっつりポストする。


「呼吸をするようにTwitterでつぶやく」というのはTwitter重症者をさして使われる形容だが、その感覚を、そうでない人に理解してもらおうとは思わない。ただ「これは君が思っているよりは大変なことじゃないんだぜ」ということは訴えておきたいわけでね。

コンプレックスを+に変えること

で、だ。なぜ僕がTwitterを続けているかということをもうちょっと話しておこうと思う。というか本来この話をメインに据えてブログを書くつもりだったのだけど、機能は途中で飽きて投げ出してしまったのは内緒だ!
とにかく、Twitterには「すごい」人が多い。とくにIT分野に関しては飛び抜けている。そして僕個人の感覚なのだけど、今の時代、もっとも面白い人達を引きつけているのはITだと思う。僕は梅田望夫に騙されて情報科に入学したクチだが、「ウェブ進化論」で熱く語る彼の弁は、それだけのエネルギーの発散だったと理解している。(あと、Twitterの@umedamochioさん、たまには将棋以外の事も喋ってくださいませんか!)
Firefoxの拡張のプラグインMacのTipsを探してたりすると、大体知ってる人のページに辿り着く。オフであった人が有名な企業の中の人だったりすることも、日常茶飯事で、インターネットって怖い。


それで、優秀な人の中に飛び込んで、何のバックグラウンドもない僕は、引け目を感じていることもある。ただ、「ガキンチョがまた来たよ・・・」と思われないよう、そこで努力すべきだと思ってしまうのだ。そういう状況で、劣等感で萎縮してしまう人もいるが、僕はある程度、コンプレックスをバネに+の力に変えていけると自負している。必要以上に負荷がかからないように調整すれば、これでいい。そして背伸びしているうちに背が伸びているなら、それもまたアリじゃないだろうか。


Twitter全ての人がそう感じる必要もないけど、僕の場合、他のユーザーの自虐の奥に見え隠れするささやかなプライドに、自分のプライドが傷ついたり傷つかなかったりする。
僕は図書館に行くたびに「まだこんなに読んでない本があるなんて!」と絶望すると同時に「まだこれだけ、僕が知らないことがある!」と知識欲に心が沸き立つような人間なのだが、そこまで読書する方ではないのでハッタリだし、まだ随分いい加減な人間だ。
自分の気持ちをうまくまとめられないけど、そんな感じ。

自己表現の実践としてのブログ

そういえば増田でこんな記事を書いた。

大多数はお前がどういう生まれで、どういう考えを持っているかということに、別段興味はない。

お前はなんら特別な存在でもない。大多数の中の一部であり、一期一会で、視界を通過する文字列だ。

だけど、それらを自覚出来ず、自分が「特別な存在」だと思っているバカが、いかに多いことか。

おまえのちっぽけな個性なんざ、誰も求めちゃいない。

まずは自覚しろ。何のバックグラウンドもないテメエは、まだ何の価値もない


個性を得たければ、それが許される空間を、お前自身の手で作り出せ。ブログなりpixivなり、なんでもいい。

お前の行動が価値あるコンテンツなら、その言動が重みを持ち、個性のような何かを発揮することが許される。

そして初めて、そのコミュニティが属するコミュニティ内だけで、お前の言葉は重みを持つ。


その上で賛否を受け入れる覚悟を持て。

アルファブロガーみたいな連中が放言できるのはそういうこった。


語調が荒くて失礼!このエントリは、ちょっと我慢ならないネガコメを発見してプッツンときて、そのイライラを発散させるために書いた。
言いたい事言いたいが為に、増田としてのキャラを演じる為に増田を使っただけだ。(こんな感じに、思いついたように、増田で雑文を書いている)


このブログ、或いはTwitterが、僕にとってこの実践である。


ホッテントリになったから自分のブログが認められた」と思い上がっているわけではない。いや、嬉しいのは本当だけど、これを必要以上に鼻にかけたりしたくはない。これが傲慢に振る舞う自意識の片鱗のように見えて、さっきのエントリのように「ホッテントリになったから、twitterで誕生日たくさん祝ってもらったから何?それ食えるの?美味しいの?」なんて言われりした可能性もあるわけで。いや、実は、こういう風に言われるのは身に堪えるんだけどね・・・。あまり気にしないようにするべきなんだろうけど。


ここでこの文章を掘り返したのは、ブログを書くってのは責任を引き受ける事だよな、と再確認の為。
自分の理想と、今の現状の断絶に絶望しつつ、しかしその高みを目指すのはけして悪い事ではないと思うのだ。「こうありたい自分」という理想を忘れてしまう事が、最も恐れる事であるように思う。

最後に、フォローしてくださった皆さんへ

「いや、マジでマジスパ後のうんこ半端無い ケツがよじれる」とか、
「ジャンピング土下座の練習風景Ustとか需要あるだろうか」
「世界的に大流行の兆しのエグザイルインフルエンザ」
なんて適当なポストしていたのが僕です。申し訳ありません。


こんな僕でよければフォローしてやってください。それでは、良いTwitterライフを。