Twitterをはじめると2週間でブログの更新が止まる理由 そしてはじまる(かもしれない)総表現社会
TwitterにはまったユーザーはTwitter以外での活動が減ってここに集約されるけど、Twitter自身にコンテンツとしての訴求力がないから死にコンテンツになっちゃう可能性があるんじゃないの、という話(のつもりだったけど他にもいろいろ)。
フォロワーのブログを読み続けて気づいたこと
日本のTwitterユーザーのよくあるブログを想像してみる。
過去ログを漁ると、「Twitterはじめました!という投稿があって、それ以降の更新数はTwitterのポスト数に反比例にするようなグラフを描いて下降していく。直近の記事の投稿はだいたい二週間前だ。
最後っ屁のように「Twitterって面白いですね!みなさんもはじめたらどうですか?」なんて記事があるかもしれない。あるいは、Make your dayなどのスクリプトで抜き出した、その日一日のTwitterでのポストが過去ログを埋め尽くしているかもしれない。*1
ここでいう「ブログ」ってのは、あるいは一番数が多いであろう(そして更新頻度がそこまで高くない) 「日記」系のブログのことだ。
僕は放っておいてもそこそこな数のフォローを受ける。結構頻繁にポストしてるせいか、フォロー関係が広いせいか、あるいは昔書いたTwitter紹介エントリのせいかもしれない。フォローを受けると、一通りTwitterのポストを眺めたあと、必ずと言っていいほど彼らの設定したHPを見に行く。その多くは、ブログ、個人ニュースサイト、pixiv、iddy、mixiに繋がっている。自己申告のぎこちない自己紹介より、ブログの方が遥かに人格が見えて面白い。(Twitterの呟きでもいいのだけど、内容が散漫だから方向性を掴みにくいのだ)
この作業をフォロワーが増えるたびに繰り返しているのだけど、そこで上記のような、ある種の「パターン」を感じた。かくいう僕も、mixiで同じことをやった。元々毎日のように記事を書いていたが、mixiには嫌気がさしていて、そこで見つけたのがTwitter。mixi疲れからTwitterを始める人が多いのは確かだ。Twitterユーザーの多くは、あのオレンジにSNS特有の閉鎖感、抑圧感を感じている。さすがにTwitterの人のmixiまでは探らないけども、「Twitterをはじめてそれ以外のネット活動が減る」傾向は強いはずだ。
※本文中で想定しているユーザーはTwitterの中でもとりわけ発言頻度が高いアクティブな人達である
発言までの閾値を低下させるデザイン
ブログを書くというのは、自分の思考を構造化することだ。小論文を書く作業にも似ている。相当量の記事を書こうとするとそれなりの時間がかかる。僕は、一年間ホッテントリを読み続けることでブログの書き方を学んだ。上手く出来ている自信はないが、最低限のテンプレートのようなものは掴んだ。
だけど、それを実行するのは非常に骨が折れることなのだ。訓練された職業ライターならともかく、ぽっとで「普通の人」が、自分の主張を筋道たてて説明することは難しい。自分の意見を聞いてほしいとう欲望を持っていても、しかしそれに伴う労力が半端ではないから、軌道に乗るまでにやめてしまう。*2
ブログはこれからもネットの中核の一つを担っていくコミュニティであり続けると思うのだが、元々発信頻度が低かった層 — これがTwitterによって変質していく場所だ。
Twitterは自分の思考を構造化する必要はない。140文字は、構造化するには短すぎる。だから、何も考えずに投稿に至る。Twitterの有り様は、「参加者一名からのチャット」で、それは「誰かが聞いてることを前提にした独り言」なのだ。
Twitterは「普通の人」の全てのアウトプットをカバーする
Twitterの投稿の気軽さは、彼らが語ることができる内容を全て内包してしまう。彼らが語るべき内容を、多くの場合、すべて吐き出させてしまう。だからブログに書くべき内容が残らない。2chの投稿が減り、mixiでの厄介なコミュニケーションへ首を突っ込もうとしない。
インターネットによって総表現社会が可能なインフラは整った。だが、誰しもが語るべき内容を持つわけではない。僕は今、ヘビーユーザーとしてのTwitter論のようなものでお茶を濁しているワケだが、専門知識がない僕が書きうる話題なんてものはほんの少ししかないわけで、どうにかしてこんな長文をひねり出している。
ニュースを見るたびになんらかの感想を持っても、それを記事にするだけのスキルがない。知識がない。だから結果として個人は萎縮して、記事にならない。ウェブに現れない個人の思考など、ウェブでは存在しないにも等しい。
検索技術が可能にしたのは、消えていくはずの個人個人の思考を体系立てて整理したことであり、また我々が危惧すべきは、それらが自分が忘れたいことも消し去ってくれないことである。使っているとわかるが、Twitterは案外ページランクが高い。とある専門用語について、「〜ってなんだろう?」って発言していて、後日検索したとき専門用語の解説よりそのポストが上にきて焦ったものだ。
そしてTwitterについて書かれた記事は数多あれど、Twitterユーザーとして、Twitterについてブログを書く人は全体数からして非常に少ない。*3
現在のTwitterが抱える問題
Twitter自身は性質的には閉じていないが、日本においては認知度の低さゆえに訴求性がない。最近になってトラフィックが数倍になったとはいえ、ユーザー数がまだまだ少なく、外部へ「私たちはこういうものです」というアピールが出来ていない。システムへの理解がなければ、引用は混乱を生む。
はてなとTwitterの親和性は高いように見えるが、それはプログラマなどのアーリーアダプターが多いからだろう。ユーザー層も被っている。しかし、2chとTwitterは相性が非常に悪いようだ。こと2chにおいては、変化を嫌い、個を主張しないのが美徳とされるからだろうか。いいか悪いかはともかく、とても日本人的だ。
Twitterはバイラルで広まったものであるから、これからもバイラルで広まるだろう。ある時点で爆発するかもしれないし、今が爆発の最中かもしれない。
個人的な懸念は、mixiのように極端な衆愚化、陳腐化を起こさないか?ということだ。following/followerとremove/blockシステムがあるので、ある程度の延命は可能だが、そこから先は想像できない。そのとき、今のユーザーは総じて「古参クラスタ」というような扱いを受けることだろう。
結局は人と人のコミュニケーションが基盤だから、一人一人の活動が結果としてTwitterの在り方に関わる。mixiのようにならないことを祈るばかりだ。*4