ゼノブレイド終えてRPGについて考えてみる

ゼノブレイドPS2までのRPGと、それ以降のマイルストーンのような作品だった。最新ハードに主戦場が移っているが、ゼノブレイドはどちらかというとPS2RPG郡の側に属し、FF12などの作品と比較したほうが良いだろう。

RPGにおける現実の捨象

RPGというジャンルは「起こっていたかもしれない事象」を簡素に捨象して発展したものだった。あらゆるステータスは数字のパラメータに置き換えられ、剣戟による体力の消耗は、ヒットポイント、攻撃力、防御力という概念を生んだ。

このように簡素化されたのは、ゲーム機の表現の限界に沿ったものだった。DQ1を思い出してほしい。今でこそ単純に思えるかもしれないが、今のRPGも未だあの文脈の上にあるといっても差し支えないだろう。*1

RPGと体感時間

時間感覚が顕著に問題になったのは、自分の知る限りロストオデッセイが最初だったと思う。

ロストオデッセイ Xbox 360 プラチナコレクション

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FFを生み出した坂口氏がXBOX360で送り出した期待のRPGだったが、最新ハードの高解像なグラフィックで、昔ながらのコマンドバトルをやるとこれほどにも違和感があるか、という点が浮き彫りになってしまった。
コマンドバトルという文脈を刷り込まれていた人ほど違和感を持たなかったようだが、棒立ちのキャラクターが敵の大振りな攻撃を甘んじて受けるのは、やはり違和感を持つ人が多かったであろう。不気味の谷に触れたとも言うべきか。

今のRPGの文脈に沿う限り、2Dのアニメ調でなければ純粋なコマンド式の戦闘を持つRPGはつくりにくいと思われる。DQ9シリーズが伝統を守り続けて売上を維持しているのも、アニメ調+コマンドバトルの安心感からではないだろうか。*2

シームレスバトルは「指揮官の目線」で行うシミュレーションゲーム

ゼノブレイドFF13はリアルタイムバトルの慌ただしさを全面に押し出したが、それはキャラクターの操作というよりは指揮官の目線で行う戦闘だった。俯瞰的な視点から捨象された数字を把握し、その都度適切な行動を「指示」する。「選択」ではなく。


シームレスバトルが、MMOというプレーヤー同期型のゲームで発展したのも必然だったのだろう。しかしあれはキャラクターごとに「中の人」が存在し、その協調の中で行われる営みだった。
だが、オフラインゲームは違う。プレーヤーは一人のキャラクターを代表し、残りはAIに操作を任せることになる。スピーディに流れる戦闘の中ですべてを把握することは不可能だし、それを実現にするためには時間を止めなければならない。演出として時間を止めるのは問題ないが、今のこのリアリティのあふれた画面の中で、その都度コマンド選択を行うのは違和感が大きすぎる。

世界を感じること

オープンワールドにしろ箱庭式にしろ、世界感の演出には、結局は泥臭いテキスト量で「世界に人が住み着いている」という感覚を生み出すしかない。その分量は想定プレイ時間に比例して増えていく。
プレーヤーの「こんなところまで作りこんでないだろう」に応えることで、その世界に深みを与えることができる。ゼノブレイドは、クエストの受注は基本的にはテンプレ会話なのだが、特殊会話の数が多くこんなところまで作りこんであるのかと非常に驚いた。だいたい三つクエストを受ければ、二つはキャラクターごとの特殊会話があり、そしてそのクエスト数は400程度ある。

普通のゲームならばただ面倒なだけのクエストでも、個別のシナリオとしてのクエストとして非常に完成度が高いので、投げ出さずにプレイできた。
資源の活用や高度なマップ生成が進んでプログラマの仕事が減ったとしても「文章を書く人」の仕事は減らないだろう。
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人間臭い部分は、結局手間をかけて人間がやるしかないのかもしれない。それこそが作品のにおいになるのだから。

*1:源流を辿るならウィザードリィウルティマを参考にすべきだろうが

*2:自分はDQ8以降のドラクエにも違和感があるのだけど