Twitterの授業利用とローカルなハッシュタグのマネジメントについて

はじめに

本稿は早稲田大学のとある授業で、 [twitter:@ozashige] 准教授が行ったTwitterを利用する授業において提出した、Twitterの教育利用に関するレポートである。
そのうちの授業のある一回で、筆者はTwitterのヘビーユーザーとして30分発表を受け持ち、学内ハッシュタグ #wjinka の提案を行った。
現在は一日に10~15件程度の書き込みだが、@ozashig 准教授の授業日にはかなりの数の書き込みがあり、また継続的に使われているので、学部内Twitterコミュニティの創出に一定の程度の成果を果たしたと言えるだろう。


教授と筆者に共通するモチベーションとしては、慶應SFCでのTwitter利用の内情にある程度通じていて、しかし遅々として進まぬTwitter利用に歯がゆさを感じていた、という点。
とくに慶應SFCと早稲田人間科学部は、SFCには村井純・現学長という歴史があるにしろ、立ち位置的には似たような位置にある。そういえば村井さんも授業でTwitterを使っていたと噂で聞いたところだ。


Twitterに何を求めるか

実績があってか、複数の教授にTwitterの授業利用について質問を求められたりした。その中で強く感じたのは、とにかくアウトプットを汲み上げる手段への需要。
一方的な知の教授スタイルが多いと言われる中、もちろんそれを変えたいと思っている教授もいるわけだが、学生がなげやりに掻き上げる授業後のアンケートシートはあまり参考にならないことが多いようだ。
しかし現代ではそんなアナログな手段を使う必要もないわけで、その中で需要を汲み取れそうと白羽の矢がたったのがTwitterだということだ。ブログでもチャットでもないのが、Twitterのメディア特性に由来すると思われる。


Twitterのメディア特性とは何だろうか。「Twitterだから使う」「流行りだから使う」のではない。
Twitterが学生のアウトプットを拾い上げるのに適していて、しかもリアルタイムな思考の流れを追うことができると考えられるからだ。
自分のブログから引用する。

Twitterは自分の思考を構造化する必要はない。140文字は、構造化するには短すぎる。
だから、何も考えずに投稿に至る。Twitterの有り様は、「参加者一名からのチャット」で、それは「誰かが聞いてることを前提にした独り言」なのだ。

Twitterをはじめると2週間でブログの更新が止まる理由 そしてはじまる(かもしれない)総表現社会 - mizchi log



Twitterのインターフェースの妙は、限りなく思考を構造化する段階を経ずにアウトプットに至ることで、アウトプットの頻度/総量が多いのはそこに起因する。
結果として、限りなく会話文に近い文章でのやりとりになる。

Twitterの活用は、しかし前提として、「話題性がある」という授業である必要があるだろう。

キモは、アクティブユーザーに「実況」させること

どの授業にも、一定の人数がいればTwitterを使っている人は一定する存在する。
彼らをアーリーアダプターとしての彼らが先鞭をつけてもらう。そのような人達を、言い方は悪いが、利用させてもらう。

Twitterのメディア特性を理解していないと、半分本能的に刷り込まれているであろう、「大学は堅苦しい」という共通認識を打破できずに、潜在的なアクティブユーザーを活性化させることができない。


書き込みを、講師が逐一拾いあげる。Twitterで質問すれば(そこに意味があれば)、即座に答えて貰える、というインセンティブを彼らに与える。
ヘヴィなTwitterユーザーが、「そのジャンルの権威が自分のライフワークについて語る」という良質なコンテンツを目の前にして、しかもTwitterにポストすることを許可された状況で、それを実況しないわけがない!

... という建前は別にしても、十分に話題性があって、授業下でのインタラクティブな発言が許可されれば、それはモチベーションを向上させる一因になりうるだろう。

インターネットの「気軽さ」「サブカルっぽさ」を許容すること

今回は院生でも、ましてozashige先生のゼミ生でもない一般学生の僕が授業中に発表するという、まあ通例考えられないイベントだったのでそれなりにインパクトがあったようだ。
その中で自分は可能な限りフランクに、素に近い形でTwitterについての発表を行った。文章は堅苦しいが、いつもはおどけている感じなのですんなり受け入れられたと思う。
授業にでているTwitterのアクティブユーザーは必ず実況してくれる自信があった。こんな非日常的なイベントを彼らが見逃すはずがない。(してくれなかったとしたら、僕の人柄の問題だっただろう)

自分としてもプレゼンテーションは高橋メソッドで、図表を使わずにテンポよく作った。授業の最初にハッシュタグを提示し、「Twitterアカウントを持ってる人は書き込みしてねー」と呼びかけた。
2画面の書画カメラの半分プレゼン、もう一枚はハッシュタグの画面を写して、Twitterをよく知らない人へこういうものだという実演にした。


自分がそんな調子だったから、彼らも同じ調子で続いてくれており、結果として継続的に使われるハッシュタグとなった。ちなみにこの発表以前に #wjinka のタグがついた発言は存在しない。

「クオリティコントロール」は圧力

[twitter:@ozshige]先生は非常にフランクだから問題ないだろうけど、いかつい教授が急にTwitterを使いたいから使えと言われてどうにかなるかと言われれば、少し微妙だ。
そういう場合、僕のような「人柱」がフランクさを演出するのは一つの手だろう。


コンテンツの質の管理、クオリティコントロールなどという言葉は、意識として持つのは悪くないが、口に出した瞬間それは圧力になる。
インターネット特有の「下品さ」「サブカルっぽさ」を、全てとは言わないが、ある程度許容する必要があるかもしれない。

入り口の「実況」から「疑問」へ


実際に使っていると、それは「実況」から「内容への疑問」へシフトしてくるはずだ。
一定数の人数の書き込みがあれば、全員でその場で共有しているのだから必要ない、ということにすぐに気づく。が、入り口としては適当だろう。Ustreamのイベント実況も自分がみている限りはそのような段階を踏んでいる。

Twitterは問題提起はできても論理だった文章を書くのは適さない。そういう点はレポートで汲み上げればよいはずだ。


もちろん流行っていることは重要な因子のひとつになりうる。授業参加としてどのサービスと学生の親和性が高いか、メディアとして適性はどうか、学生側のアウトプットを汲み上げるメディアとして適正か?
たとえば授業をmixi(欧米ならFacebook)上でやるというのはなかなか考えにくい。使えなくはないだろうが...。

問題点 : 成績評価と個人情報の紐付け

実際に問題になったのは成績評価。
僕は出席表に idを記述したが(自分はそうする必要すらなかっただろうが)、管理側としてはヒモ付けが大変だし、そもそも「Twitterには参加したいが個人のヒモ付は嫌だ」という層が一定数存在した。

SFCではハッシュタグで出席をとったこともあるらしいが、ハッシュタグは漏れがあるのでそのような用途には適さないだろう。


授業でアカウントの取り方を教えろ、との要望があったそうだが、それは大学として指導すべき内容ではないし、それすらできないリテラシーが低い層はそもそも会話に参加しないだろう。
Twitterはあくまでオプションで、しかし参加者にインセンティブを与えるものとして扱うのがよいと思われる。意欲が高いユーザーはTwitterをそれ以前に知らなくても積極的に参加してくるはずだからだ。

最後に


ハッシュタグベースのグループウェアが必要な気がするので、夏休みの間に実装する予定。
ハッシュタグはそれ自身会話参加へのフラグでしかないので、一定の属性を持つと言っても、授業をマネジメントするフラグとするには力不足だろう。