ニコニコ with 政治


ニコニコで党首討論を見ていた。


ニコニコのランキングに上がってる時点で、2ちゃんねる的な、麻生寄りな展開なのは仕方ないんだけど、コメントで茶々をいれて「討論」を見るのは、すごく面白い。僕が見ていた時間帯ではコメ荒らしも沸いていなかったし、落ち着いてみる事ができた。
さすが、「頭がいい人達のポジショントーク」は、それだけで上質なコンテンツになりうると思えた。たとえ本人達に芸能人のような華やかさがなくとも、だ。(それについて考えるとき、やはり小泉は花があったと思う)


今の段階ではNHKで放送されたものの非正規な転載だろうけど、これが公認でニコニコで見れたら面白いかもしれない。公の国会のアーカイブをオンラインに構築する事は、むしろ政治的無関心が蔓延する今の時代にとても効果的ではないだろうか。たとえそれが、ニコニコという胡散臭いメディアだとしてもだ。

なぜニコニコで見るのか。

「メディアを通してみる」ということは、「場」の思想的なポテンシャルを通してみることだ。ニコニコという「お茶の間」的な空間を通して、討論を視聴する。あなたは真面目に疑問を投げかけていいし、茶々をいれてもいい。
動きの少ない単調な話でも、ニコニコの特徴である「お茶の間」の雰囲気がうまく演出されていた。


よくお笑い番組で、SEとして笑い声を入れて「今の話は面白かったんだよ!」という演出があるが、それの使いどころを間違えると、非常に薄ら寒い事になる。深夜帯のニッチな番組の、内輪なネタを前提知識無しに見てしまったとき、そんな感覚を味わう事があったりする。
それと同じ事が、国会中継をニコニコで見たときに起こっていた。そこでは三つの違う思想のポテンシャルが介在する事になる。それは「国会」「ニコニコのコメント」「画面の前の自分」だ。この場合のポテンシャルは、それぞれが持つイデオロギーを指す。


「画面の前のあなた」の話は置いておいて、「右寄りなニコニコ」と「国会」を対比を考えてみよう。コメントの大雑把な印象としては自民支持が8割ほどをしめていたが、画面の向こうの「国会」では、野次の大きさが与党:野党が1:1といったところだった。麻生が、鳩山が、物議をかもす発言を取り上げるとき、画面の向こうでは賛意と野次が同程度に巻き起こる。それにより、その野次だけで判断するなら「討論が成り立っている」という印象を受ける。


しかし、この討論自体は、どう控えめにみても、鳩山の惨敗である。これは僕の思想的な話云々は置いておくとして、プレーンな感性を持って、この動画を見た万人が持つ感想だと思う。そしてその論旨の矛盾は、ぼうっと見ていたら気づかないかもしれないが、コメントによる突っ込みでより強く意識される。
この動画の簡単な構図としては、抽象論を振り回して勝手に自滅する鳩山を、麻生が論理的にこき下ろすというもの。正直、麻生と鳩山では役者が違った。

要約の恐ろしさ

マスメディアで扱うのは、瞬間的な切り抜きだ。だからこそ、「要約」するならば、この惨敗を「対等」に演出する事ができる。そして、切り抜かれる事を知っているからこそ、鳩山代表もマスコミへむけたキャッチーなフレーズを、論旨が不明な文脈で行うのだ。マスコミを味方につけている民主党だからこそできることだ。
それは討論の中では論理破綻をきたしているものだが、マスメディアのいいたい事と同等であるがゆえに、強くアピールされる事になろう。


麻生総理は、一つずつ相手の説明を綺麗に論破していたように思えるが、それが「要約」される段階で正当性が維持されるかというと、昨今のマスメディアの風潮から言って難しいと言わざるを得ない。
参考:週刊誌記者の取材に心が汚れた:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan

劇場型政治の「正しさ」は、メディアによって担保される

鳩山の手法は、ケネディや小泉の行った劇場型の政治だ。マスメディアを意識した、強烈なキャッチフレーズで、テレビ映えする主張する。
鳩山代表は抽象論を振り回し、説明を強いるのに、自分が質問された場合は、一言で切って捨てている。そして麻生に対しては「質問に答えず上から目線だ」という雰囲気を演出する。
今まではそれでよかった。情報の運び手たるマスコミと同じ主張を行うならば、その正当性は担保される。


しかし、既存のマスコミとは違う流れを持つ、別のメディア(=ネット)が影響力を増大させつつある現代、それが果たして通用するだろうか。そこでは多様な意見があり、多様な見方がある。誰もが一次ソースに近い場所に立ちうる。発信ができる。
もちろん、テレビが最も巨大な情報メディアだという優位性は、これからも崩れる事はないだろう。が、かつての新聞王、ハーストのような、誇大に盛り上げるやり口は相手に反論する餌を与えるだけになる。なりつつある。


媒体に優劣なく、偏見無く、貴賤無く、健全な競争が成立するのが理想なんじゃないかと僕は思っているのだが、どうだろう。
理想論だろうか。今の時代はまだ過渡期でしかなく、判断材料もない。