1996年、「インターネットの兄貴達」に憧れた小学生と「調子に乗るな、背伸びをするな」と叩き続ける人達の話
今回は個人的な話が多いので、あまり理解されるとは思わずに書いた。
早い話、小学生の頃から中二病の生意気なマセガキだった。ということに尽きる話なのだけど…
関連
都心住まいの価値とは何か - よそ行きの妄想 http://d.hatena.ne.jp/chnpk/20130115/1358204323
地方都市という地獄 あるいは関東圏の「私が住んでるところは田舎だよ(笑」が如何に残酷かについて - mizchi log http://d.hatena.ne.jp/mizchi/20130115/1358216244
都会と田舎の比較の話が出るととりあえず絡みつく - 24時間残念営業 http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/01/15/143959
大阪「・・・・・。」 http://anond.hatelabo.jp/20130115193455
反響に対して
先の記事は、「田舎で受け入れられなかった人」へ向けて書いた話しであり、受け入れられた人にとっては田舎は辛い場所ではない。住めば都。住めなければ、追い出される。追い出した側は追い出された人のことを忘れる。受け入れられた側がそれを全てだと思っているのなら、その排他性は今でも僕が忌むべきものだ。
概ね田舎の閉塞感に関して同意を得られたものの、田舎育ちと出生地で育つことを混同しているという反論があった。まあそのとおりだと思う。正直「東京の異常性」というタイトルにしたほうがよかったと反省はしている。
大阪については、関西の事情には疎いので意図的に無視したところはある。ただ書きながら大阪はどうなんだろうとは考えていた。
1996年に田舎でインターネットをやるということ
色々言いたいこともあるが、今回はこれについてのみ。
PCユーザーで、かつネットから自主的に情報を拾ってこれる時点で、すでに精神的にはある程度「田舎」というものから切り離されてしまっている、とはいえる。なにしろ「知ってる」わけだ。都会がどんな場所であるか、田舎がどんな場所であるか。
これに関してはもう全くコンビニ店長の言うとおりで。
自分は6歳の時に家にインターネットが導入されて、それにどっぷりはまっていた。近所にパソコン通信とかやってたおじさんがいて、親父がその人と仲よく、親父も当時からマカーだったのでインターネットが開通した。そして主に自分がPCを専有していた。
当時のインターネット('96)は今より大分排他的で、まだパソ通やニフティ掲示板由来の人たちが幅をきかせていて、年齢を明かすと厨房・消防は出て行けと言われたものだった。僕は萎縮して一度もあめぞうには書き込めなかった。あめぞうだったか確たる記憶はないが、2chに連なるあの雰囲気はそうだったんだろう。
「インターネットの兄貴達」は排他的で、ゲスくて、コミュニケーションの取り方がどこかおかしいようには感じていた。ただ彼らはいつも正直で、だからこそ僕は彼らが楽しそうに語るものについてはある程度信用しようと思った。「建前がない大人の情報」を手に入れる手段は、インターネットしかなかった。
小学生ながらにインターネットの価値基準を導入すると、そんなもの田舎の価値観と食い違いが出るに決まってる。当時にインターネットを始めたことが、自分にとってすべてのはじまりだったと思う。
なぜ今この話をするか
僕が2008年に受験を終えてインターネットを再開し、Twitterをはじめたとき「インターネットの兄貴達」はそのままそこにいた。初期Twitterはギークとネットウォッチャーが大半を占めていた。あんまり自覚はなかったけれど、僕は多分、彼らに憧れてプログラムを書き始めて、そしてエンジニアになったのだと思う。
インターネットに順応しすぎたせいで、地元では生意気なガキとして疎まれた。そもそも郷土ルールとか度外視した知識量だけなら、田舎育ちの大人よりインターネットに順応した小学生のほうが多いケースだってある。そして小学生は建前を知らないから、インターネットで知った知識を使って大人に食って掛かる。アレって実はアーいうことなんでしょって。そして情報を追い求める姿勢そのものが否定される。またあの子はパソコンばかりやって。そんなんじゃマトモなおとなになれませんよ。ちょっと知った気になりやがって。
インターネットの情報を全部信じるのも危ないが、インターネット勃興期は押さえつけられた反動とも思えるような情報が一気に噴出していて、どれも少なくとも地元のオヤジたちが語る情報の100倍信憑性があった。
分別がついてきて、情報の取捨選択ができるようになり、長崎の平和教育がいかに歪であるか知る。偉そうにしてる教員が縁故で選ばれて、教師になるのが夢だった近所のお姉さんが夢を諦めたことを知る。担任の教師が日教組を批判して離島に赴任することになったことを知る。実家の宗教が外部的にどう思われているか知る。そしてその事実が知らされないことに再び怒りを覚える。
僕は知ることが大人になる道だと思っていたが、どうやら無批判になることが大人になることらしい。
たしかそんなことを、小学生のときは考えていた。目下の敵は教師、とくに体育教師だった。体育教師は目上のいうことを聞かず、うんちくを語る生徒が大嫌いなのだ。
今でもそういう怒りはある。田舎だとより身近で、都会だとそれは紛らわしくややこしく遠くなるがゆえに、距離が遠いだけというのも理解している。でも結局身の回りの以上のことに手を出すのは難しいし、僕もまた麻痺してしまったのだろう。
まあ、色々あって、最後何を言いたいかわかんなくなったけど、こういう価値観で田舎で生きていくことは難しく、僕みたいな人間は、東京ぐらいしか受け皿がない、ということだ。