想像力と妄想力があわさり最強に見える

ウェブ漫画のことと、人の持つ美意識のこと。


□マンガは凄い。全てのメディアの中で最も物語るのに向いている。:島国大和のド畜生

1.圧倒的な小回りの良さ。
2.圧倒的な取り回しの良さ。
3.圧倒的な表現力。


これは紙媒体についての記事だろうけど、ちょいとウェブ漫画に付いて考えてみた。
ウェブ漫画というのは、まだまだ発展途上の分野だと思う。マンガのフォーマットに従う以上、一枚の画像にならざるを得なくて、取り扱いが面倒だ。標準的なディスプレイの解像度だと、雑誌を取り込んだような画像は詰め込まれていてすごく読みにくい。1ページで取り込むにしても、ディスプレイは横長だし、2ページ詰め込んでも、細かくてたぶん読めない。拡大してスクロールしながら読むのも面倒だ。面倒で仕方ない。

漫画を表現する為の標準的なフォーマットがあれば、もう少し盛り上がるのかも知れない。やるおで学ぶ〜シリーズだって、要は画像(のようなAA)にセリフの差し替えによって成り立っているんだから、漫画出力フォーマットとしてセマンティックな何かがあれば便利かもしれない。そうかもしれない。うん、自分の観測範囲以外のことを書いてるから適当でした。(せめて調べるべきだった!)

■絵を描くことと想像力

で、話は全然変わるのだけど、僕は全く絵が描けない。そんじょそこらの描けなさ具合じゃない。たとえ画力がなくとも幼稚園児が描く絵は解釈によってはまだ魅力的かもしれないが、僕の書く絵は何もかもが未熟で、線は乱れ、空間は歪み、ひどいとしか言いようがない。

幼稚園児 ー 独創性 =僕の画力。


そんな僕でも好みの絵というのはあるし、かっこいいと思う絵や、ヌける二次元とヌけない二次元があるのだが、しかし、それが何に依存してるのか自分でも全くわからない。
漫画の棚を見渡すとヴィンランドサガ、ARMS、ベルセルクなど、僕はどうやら男らしく無骨で、それでいて描き込まれた絵が好きなようだが、いったいそれは何から来たのだろう。毎週読むジャンプ・マガジン・サンデー・ヤングジャンプだろうか。(サンデーは魔王しか読むのがなくなったなぁ・・・)


なにかしらの絵を前にして、僕は圧倒的に無力だ。糸杉は糸杉だし、落ち穂拾いは落ち穂拾いだし、モナリザは女だ。その解釈の貧相さに、自分でもうんざりする。写実主義の画家の絵はうまいなーと思うことはあるが、それは単に写真に近いという感想なのだ。自分でもよくわからないが、たぶんそうだ。
絵が描かれた歴史的経緯や画家のバックグランドを追えば何らかの感慨を得たりするのだろうが、そんな情熱もない。

■想像力の根源は、頭か指先かイチモツか

ちょっとペンを握って、女性を想像してほしい。とても魅力的な人間で、あなたの理想の彼女かもしれない。(あなたが女性の場合は男性で)
その人の、顔を中心にズームする。まだその像は崩れない。顔をなめ回すように見てみる。そして顎と鼻のラインを視線でなぞってみる。そしてそれを紙に書き下ろそうとするとき、自分が細部を全く想像出来ていなかったことに気づく。


訓練されてない人間が想像出来る部分と言うのは、本当に一部なのだろう。で、良い絵描きというのは、その想像力で細部を描き込んでいるように思える。
絵が描けないと言うことは、想像力を欠いてるということなのだろうか。僕は、その絵描きの人が見ている世界を、実は楽しめていないのではないだろうか。いつもそんな不安につきまとわれている。
だから絵描きが羨ましい。僕も絵が描けたら、もっと上質なコンテンツが楽しめるかも知れないのに!だけど絵を練習しようと思う情熱もないのだ!


そんな僕もコンテンツとしてネットにばらまかれている画像を消費していて、Tumblrを持ってて、ユーザーに画像を収集させるようと強制するインターネットって不思議だと思いました。



*ちなみに、僕が知っている美術論みたいな何かは、ほとんど大学入試の為に読んだ論説文に依っていたりしている。すごく堅苦しかったり偏ってたり。