「自分が(あるいは作者が)これだけの努力を払ったんだから、文句を言うならお前も同じ学習コストを払ってからにしろ」という話

RTとかフリーソフトウェア作者の権利とかサポートとか、思ってることをつらつら書きつづってたらエゴ丸出しになってしまったけど、勿体無いので置いとく。


今回の件はこれに尽きると思う:

rarihoma: なんか「無料で使わせてもらってるんだからクライアント作者に意見しないで不満なら他の使えや」ってな感じのpostを少し見かけるけどそれは違うと思う。意見を出すこと自体は問題ない。件の彼の場合はそれが通らなかった後の言い分がおかしい

僕もRT批判のエントリ(批判というより、単なる意思表明だったのだけど)を書いたけど、しばらくはそれに関する面倒な絡みは全部スルーしていた。スルーしていたというか余裕がなかった。
あの時は殺伐としていたけれど、今は勝間以降のユーザーとそれ以前は「毛色が違う」という程度の認識に落ち着いていて、じゃあ僕はRTがない世界でいいや、と、RTのフォーマットが含まれる文章をすべてNGにしてTwitterをしている。支障はない。まあ、この件に関してはさんざんTwitter上で喚き散らしたので飽きた。RTの是非に関して、これ以上何も言うつもりはない。
とはいえ、@でいい会話をわざわざRTでやって自己顕示するのは見ていて愉快なものではないのだけれど、今日言いたいのはそういうことじゃなくて、夜フクロウ周りのこと。


夜フクロウは公開当初からずっと愛用していた。で、あきぬるさんがRT否定派なのも前から知っていた。多段RT抑制機能を実験してることも。ぶっちゃけ、(?:RT|QT):?\s?:?@[a-zA-Z0-9_]+)という今使ってるRT避けの正規表現はあきぬるさんに教えてもらったものだ。僕自身こっそりクライアントを作ったりしているのだけど(公開はしてない)、多段RTをさせないあきぬるさんの気持ちはすごくわかる。


だから、いつかこういうことになるだろうな、とは思っていたけど、予想より大きくいろんなものを巻き込んでしまっている。
そういえば、うちの学部はMacが指定のPCなのだけれど、僕はサークルのIT担当としてB1のPCを弄ったりするのだが、Twitterをやっている一年生の間では圧倒的シェアで夜フクロウが使われていた。皆使ってるから、というのはあるだろうけど、インターフェースが綺麗で一通りの機能を抑えているし、メインで使うにも十分な、完成度の高いクライアントだと思う。Twitterでも、夜フクロウがでたから公開予定のクライアントの開発をやめた、という話を聞いたことがある。嘘か本当か知らないが。

個人のパフォーマンスの総量の分業化

僕自身の話をすると僕のコーディング力なんてたかがしれていて、他人が作ったライブラリをいじりながら自分好みにする程度なんだけど、ドキュメントが充実してないならソースを読めよ、というのはまだちょっと酷に感じる。やるけど、ちょっと辛い。ましてや、それを素養がない人に押し付けるのはどうだろう。


「自分が(あるいは作者が)これだけの努力を払ったんだから、文句を言うならお前も同等の学習コストを払ってからにしろ」


で、タイトルの話。最近だとニコニコなんかでもよくみる言説だけど、これってどうなんだろう。もっと極端なのだと「法律を変えたければ政治家になれ」なんてやつ。そこに含まれるのは、作者への敬意、デベロッパーとしての自負がないまぜになったものだと僕は捉えている。作者への敬意と、それを端にする心理学でいう同一化の。
こんな情報が溢れている時代だ。少しアンテナを広げていれば、学ぶべきこと、学びたいことは、それこそ無限にある。しかし自分が払える学習コストを限られていて、その中で自分が最大限パフォーマンスを発揮できる(と思われる)ものを選び取るしかない。
別に専門分野が一つである必要はないけど、時間と才能と環境と、個人を縛るものは多すぎる。*1

ちょっと前にPixivの絵描きさんで、Pixivでアカウントを持つなら絵描きであれ、みたいなことを言っていた人がいた。僕は申し訳程度にPixivアカウントを持っていて、たまにランキングに載った絵を眺める程度だけど、まったく絵が書けない。そりゃもう絶望的に描けない。幼稚園児から、あの幼少期特有のセンスを抜いた干物のようなものになってしまう。努力してないから、と言われればその通りなのだが、僕が絵描きに挑戦することは生来のセンスを含めて、学習コストが非常に悪いと思われる。で、僕が僕の周囲に還元できる能力は他の部分にあるはず。毒にも薬にもならないコード書いたり、こうやって文章を書いたり。
Togetter - まとめ「PixivのROMに思うこと」


そんな絵画のセンスが皆無な僕でも(中学の美術の評定が3/10の僕でも!)、相応に好きな絵、嫌いな絵はある。漫画も結構読む方だ。だけど、絵が描けないからみるなと言われるとそりゃひどいディストピアだーと思ってしまうわけです。
逆に言えば、TCP/IPを知らないならインターネットするな、なんてのに近い。
僕はクリエイターに敬意を払っているし、僕に払える対価なら可能な限り払いたい。しかし現状、ROM専という振る舞い以外がわからない。各々に需要がある連番ファイル管理のスクリプトぐらいだったら書けるけど、どんなのが需要があるかは知らない。


一方、ハッカーとかギークって呼ばれる人種って、(僕の観測範囲が非常に偏っているんだけど)その積み重ねにある程度の自負を持ってるわけなんだけど、同時にある一つのことを手続き的に処理するときは「こんなの簡単だよ、誰でもできる」と言ってしまう傾向があるように感じる。言われてやると確かにできる、ほんのちょっとの知識を前提にすれば。でも、そこに独力で辿りつくまでに払うコストを過小評価してるように感じる。
梅田望夫風に言うと、山を登ってしまっているから現時点での高速道路の最短距離はわかっているけど、登る方は見通しの悪い藪の中。

コンテンツに敬意を

「自分が(あるいは作者が)これだけの努力を払ったんだから、文句を言うならお前も同等の学習コストを払ってからにしろ」という意見に関しては、
相手の権威の上で戦う必要はないし、それぞれが自分の分野で戦ってればいいと思う。というか、それ以外に取りうる立ち位置なんてない。下手に相手の領分に入っても紛らわしくなるだけ。とくに、野次馬から言われたときは尚更。アフリカの飢えた子供たちと日本の外食産業の産廃を結びつけるのと同じぐらい不毛だと思われます。なにより生産的ではない。

だれしも何かに追われて、何かを目指して、ときには糞便みたいなものを撒き散らしているんだろうけど、同じベクトルの中でしか勝負できなくなると非常に息苦しくなるのでそういうのやめませんか。自分とは違う世界の人を評価するのも難しいかもしれないけど、そっちの公約数見つける方が有意義だと思います。


僕はコンテンツを生み出す人に敬意を払いたい。で、自分がそちらに回ったときにも正当な評価を受けたい。というやましい意図も同時にある。その承認欲求は人間として自然なものだと思っているので否定する気はないです。


どうでもいいけど、コンテンツ=労働の結果=自己の存在意義の確認、と書くとすごくマルクスっぽいですね!
寝ます。寝よう。

*1:僕の知る限りでもid:Hashid:ssig33のようにパフォーマンスの総量が多い人はいるけどさ